版画猫坂峠

昭和三十年代終わり頃まで、ここが車社会に仲間入りするまでは、この桟橋を歩いていた。

御岳から御岳川を上り、険しい断崖に架けられたこの桟橋。
幅二メートル位。長さ五十メートル位あったか。高さは川淵から高いところは十メートルもあったか。
里帰りする家族連れ。初めて黒平へ来た小さい子供は橋の途中で動けなくなってしまったと、思い出話をする。
黒平から里へ出て行くに必ず越える猫坂峠。

就職のため、出稼ぎ、炭を馬につけて売りに行く、嫁入り。
出征する我が子をここまで送って涙する親子。
出会いと別れが刻まれたこの峠。
ここが猫坂峠なのだ。

この猫坂から、月見沢を下り燕岩を過ぎ、ズサの先にあった架線場。

この会社には大勢の山師達が働いていた。中津森で伐られたツガ材をこのドバまで架線で運んだ。
当時の黒平の若い娘さん達と、ここで働く若い山師達とのあいだに、いくつかのラブロマンスが花開いたとか開かなかったとか。

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